大分県中津市弁護士  お気軽にご相談ください。

トップ  > 弁護士のつぶやき |大分県中津市弁護士中山知康

大分県中津市の弁護士法人中山知康法律事務所のホームページへようこそ

お気軽にお電話下さい。
日ごろ直面するさまざまなトラブル、まずはご相談下さい。 
お電話でご予約
0979-23-0239 
月~金曜日(日祝祭日を除く前9時から午後5時まで)

衛生対策

  
当事務所では、衛生対策として、アクリル板の設置、換気、空気清浄機、及びご相談が終わりますごとに、机、イス、ペン等の消毒を行っております。

 

 

弁護士のつぶやき |大分県中津市弁護士中山知康

 所長弁護士中山知康が、日々感じたことをつれづれに書いています。

 

 

 No. 81国葬(国葬儀)の
           憲法的問題点について

 

1 またもや久しぶりのブログ更新となってしまいました。
  さて、今回は、今、話題の「国葬(国葬儀)の憲法的問題点」について、 若干お話ししたいと思います。
  もっとも、憲法学者からも既に反対の声明が出されていますので、私がここでお話しするのは、単に私の雑感と捉えていただければと思います。

2 安倍氏の国葬をめぐっては、各方面から色々な問題が指摘され、まさに国論を二分する状況です(といっても、反対の意見の方が、圧倒的に多いように感じますが・・・)。
  確かに、国王とか天皇でもない人物について「国葬」が妥当なのか、「国葬」に値する実績や功績があると言えるのか(安倍氏の功罪についてはまだ定まっておらず、これから学術的・歴史学的検証の対象とされるべき問題です。)、さらには、多くの被害者を生んだ旧統一協会との密接なつながり、などなどたくさんの問題があります。
  本稿では、それらとは別の問題、つまり、純粋に憲法的観点から、問題点を列挙します。

3 問題点の一つ目は、安倍氏の国葬に関する決定は、内閣の独断であるため、憲法が付与した権限の逸脱・濫用に当たるという点です。
  憲法は、統治機構として、国会、内閣、裁判所の各項目を設け、それぞれに一定の権限を付与しています。
  ここで、一定の権限というのは、その言葉どおり、限られた権力という意味です(「権」とは力のことであり、その力が「限」というのは、限られた権力が与えられているということです。)。
  要するに、国会にも内閣にも裁判所にも、国が営むべき作用を遂行するための国家権力のうち、それぞれ一定の権力が付与されているところ、その権力はもともと限定されていて、その限定された権力を、定められたルールの下でのみ行使できるものとされているのです。

そして、国家機関のうち、国権(国家権力)の最高機関は、内閣ではなく、国会と定められています。他方で、内閣は国会で定められたことの執行機関(行政とは執行のことです。)に過ぎず、裁判所も法の適用という執行機関であり、また、国会や内閣の誤りを監視し、是正する権限を与えられています。
この理屈は、例えば、会社などに置き換えて考えれば、いわば当然のこととして、わかりやすいと思います。会社では、最高の意思決定機関は株主総会です。取締役会などの執行機関は、株主総会で決められた方針に沿って、日常の会社業務を執行する権限を与えられているのであり(いちいち細かいことまで株主総会では決めないとしても、それらは、株主総会から取締役会に委任されているのです。)、会社にとって重要な事柄は、基本的に株主総会で審議されなければなりません。そして、会社の業務の適正さは、監査役が監視します(会計監査だけでなく、業務監査)。このように、会社では、株主総会に諮ることなく、取締役会が会社の重要事項を勝手に決めることはもともとできません。
  国については、当然ながら、もっと厳格に憲法で定められており、内閣は国会で決められたことを執行する機関であって、憲法や法律が定めておらず、国会でも決められていないことを、勝手に独断で決定することなど、もともとできないのです。

  ですから、今回の内閣による「国葬」決定は、内閣の権限を逸脱するものであり、権限の濫用にもあたります。
このままでは、内閣による「独裁」を認めたことにもなりかねないのです。

4 問題の点の二つ目は、平等原則違反です。
  いうまでもなく、国民は(もっと言えば、外国籍の方も)、法の下に平等です。
  憲法上、自然人の中で法の下の平等の例外とされているのは、「天皇」だけです。憲法上、天皇は、いわば「国民」に対置する概念として、国民とは分けて定められています。それゆえ、天皇には、国民全員(さらに言えば外国籍の人も含みます。)に保障される人権規定も、当然には適用されず、他方で、形式的・儀礼的行為に限られ、かつ、内閣の助言と承認の下でしか行えませんが、国事行為という国家権力を行使することが定められています。
  そのような特殊な地位を憲法が定めているため、天皇は法の下の平等の例外なのですが、こうした例外は憲法上、天皇だけであり、他の自然人について、国民一般と異なる取り扱いをすることはやはり差別であり、平等原則違反というべきです。

5 問題点の三つめは、思想・良心の自由を侵すという点です。
  現在、内閣総理大臣は、安倍氏の国葬は国全体として弔意を表するものと釈明していますが、仮に、個々人に黙祷まで要請するものではないとしても、国を挙げて弔意を表するという場合、安倍氏に弔意を表したくない人にも税負担をさせ、かつ、弔意を事実上強要することになります。
  ですから、思想・良心の自由の侵害というべきです。

6 問題点の四つ目は、財政民主主義にも反するという点です。
  国が税金を使用して国家作用を営むためには、国会で審査しなければなりません。

  このことは、税金を国民から徴収する場面で、国会で審議して法律を定めなければならないこととパラレルです。  徴収する場面でも、使う場面でも、国のお金の問題は、国会で決めなければならないのです。
  ところが、今回、安倍氏の国葬は、国会審議を経ずに、予備費から16億6000万円も使って行うというのです。
  しかし、予備費というのは、国会で審議していては間に合わない場合のための緊急的に使えるお金のことです。
  それゆえ、予備費をあまりに多く確保しておくとすれば、そのこと自体が、もともと財政民主主義に反するともいえるのですが、いずれにしても、今回の国葬は、発表から2か月以上も後に実施するものですから、国会で審議できない理由など全くありません。
  現に、野党の一部は、憲法に基づいて国会召集を求めていたのに、現総理大臣はこれを無視して国会を開かず、予備費で切り抜けようとしているのです。
  このようなやり方が、財政民主主義に反することは明らかです。

7 以上のとおり、安倍氏の国葬については、憲法違反が多数あります。
  今からでも遅くはありません。
  非を認めるに遅いということはないので、憲法違反の国葬をゆめゆめ実施することのないよう求めるものです。

(2022.9.9)

 


 

 No. 80議会制民主主義(代表民主制)と
                        学問の自由

1.またもや久しぶりのブログ更新となってしまいました。
 最近は主に、Twitterでの短文のつぶやきばっかりで、こちらの長いつぶやきが疎かになっていました。
 さて、今回は「議会制民主主義(代表民主制)と学問の自由」について、最近ふと考えていたことを書きたいと思います。

2.かなり前にも漫画の感想(78.「赤狩り」に思う)を書きましたが、今回も、漫画を読んでいて、ふと考えてしまいました。
 というのは、漫画で、現在の議会制民主主義(代表民主制)はほとんど機能していない、ならばいっそ、議会は廃止し(政治家という職業はなくして)、日常の行政作用はAI(人工知能)に委ねて、国政上の重大事についてだけ国民投票で決すればよいと登場人物が話していたからです。
 たしかに、ここ何年も、国会は機能していない、そのことは否定しません。
 その理由について、政府与党が国会を軽視しているからとか、いやいや野党がだらしないからだとか、いろいろな人がいろいろなことを口々に言っています。
 こうした国会の機能不全の理由について、
私には私なりの考えがありますが(政府与党の国会軽視は甚だしいものがあり、それなのに、マスコミも我々国民もその責任を問わない状態が長らく続いていますし、野党がだらしないのはそのとおりだとしても、野党に力を持たせていないのは我々国民であり、結局、我々に帰着します。)、ここでは長くなるので、別のことをお話しします。

3.国会が機能しないならば、いっそ国会を廃止して、直接民主制で決めればいいという考えに、私は反対です。
 なるほど、技術は日々進歩していますので、ルーティンな事柄であれば、AIの判断に従って行政を遂行していれば特段問題が生じることはないということもいえるでしょうし(もっとも、ルーティンな事柄であれば、官僚機構が忖度とか接待を受けるとかせずに、前例に従ってしっかり仕事をしてもらえば、何も問題は生じないともいえます。)、重要な事柄については直接民主制で、国民投票(これも、デジタル技術の発展によって、迅速・円滑に実施できるようになるかもしれません。)によって決するのが、最も民主的といえるような気もします。
 しかし、それは民主的か、そして、歴史に鑑みて危険ではないか、と思うのです。

4.国民投票によって決するのが民主的かなどと疑問を抱くことには、矛盾ではないかというご指摘もあるかもしれません。
 たしかに、国民投票は、民意を直接表明する手段であり、最も民主的な手段ともいえるでしょう。
 しかし、民主主義は、単なる多数決の制度ではありません。
国民投票だけで決するということになれば、国民が投票によってそれぞれの考えを表明して、その多数で決するということになりますが、民主主義において最も大切な「議論」が担保されていないのです。
 民主主義は、「人間は間違いを犯すもの」であることを前提に、議論によ
って、対立する意見の調整や統合を図る制度であり、その過程で、相互に意見の表明、受容、修正等が行われることが期待されています。そして、最終的に多数決によって結論を得るときでも、多数派が正しいとは限らないことを前提として、少数派の意見を聞き、受容を試みるのです。
 このような議論を経て出された結論だからこそ、多数決(つまり、少数意見は否決)であっても、正統性を持ちうるのです。
 ところが、単なる国民投票だけということになれば、そうした意見の調整や統合をする機会が担保されないことになってしまいます。
 もちろん、マスコミを通じて識者の議論などに触れたり、SNSなどで意見を交わすことはできるかもしれませんが、冷静に、時間をかけて相手の意見を聞き、その長所短所を見極め、自分の意見を顧みてその長所短所を問い直し、場合によっては相手の意見を取り入れて自分の意見を修正し、相手にも自分の意見の優位な部分の受容を求めるなどして、意見の調整や統合を図ることは、SNSなどでは難しいと思います(なお、最近よく「論破」などという言葉を聞きますが、これは自分の意見が正しいことを前提にして相手を屈服させようとする態度であり、およそ民主的とはいえません。)。
 こうした意見の調整や統合をするのに、議会という場所は、歴史的に見てやはり大きな役割を果たしてきたのだと思います(もっとも、それは、議会の多数派が野党を無視したり、議会を軽視したりしないということが前提ですが…)。

5.国民投票で決すればよいという考えに対する、私のもう一つの反対理由、それは、歴史に鑑みて危険ではないかというものですが、
 現在、日本は二院制を採用しており、衆議院は任期4年(ただし、解散あり)、参議院は任期6年で半数ずつ3年ごとに改選される仕組みになっています。日本国憲法がそのように定めているのです。
 議会をどのような構成にするか、どのような任期や改選方法にするかについては、国ごとに違いがあり、一様に決まったものではありません。とはいえ、二院制を採用する国は多く、また、その任期や改選方法は異なるものと定めている例が多いと思います。
 それでは、日本国憲法は、なぜ二院制を採用し、その任期や改選方法も異なる仕組みを採用しているのか、その理由もやはり「人間は間違いを犯すもの」という考えが根底にあるからです(なお、二院制の意味は、これだけではなく、より多様な民意を、その時々に応じて的確に反映するためということもあります。)。
 歴史を謙虚に受け止めたとき、人間は間違いを犯しやすいことを前提にして、間違ったときでもリカバーの手段を持っておく、そのためにも二院制は採用されているのです。
 任期が4年と6年と異なるものと設定され、参議院については3年ごとに半分ずつ改選するというのも同じです。
 衆参ともに同じ時期に全員一斉改選するということになれば、その時点での多数派が議会を独占することになるため、仮に
多数派が間違いを犯したときに歯止めがなくなります。そうした事態を防ぐために、衆議院と参議院とで任期を異なるものにし、改選方法も参議院は一度に全員改選するのではなく、半分ずつ3年ごとに改選することで、急激な変化をおしとどめているのです。
 結局、人間が間違いを犯しやすいという歴史上の教訓に基づいて、現在の議会制民主主義(代表民主制)は制度設計されていると言えるのだと思います。

6.民主主義は、政治形態としてみたとき、一つの政治手法に過ぎず、また、それが唯一の手段だとか、完全無欠の手段だといえるものではありません。
 ヒトラーが民主主義によって登場したとおり、民主主義は独裁を生む危険をも内包しています。民主主義にも、欠点あるいは弱点はあるのです。
 それでも民主主義がいいと思うのは、自分のことを自分で決めたい、自分たちのことは自分たちで決めたいと思うからです。誰か少数の人たちに、勝手に決められては困るからです。
 他方で、民主主義は完璧な制度ではありません。「人間は間違いを犯しやすい」のです。
 そして、人間が間違いを犯しやすいという歴史的・社会学的事実を我々に提示し、教訓として教えてくれているのは、これまでの歴史学や社会学、政治学などの研究のおかげです。
 科学というとき、最近では自然科学ばかりに目が行ってしまいがちですが、こうした人文科学のたゆまぬ歩みも、我々により良い未来を選択するよう、光を照らし続けてくれています。
7.日本学術会議の任命拒否問題については、学問の自由の根幹にかかわる問題であることについてこれまでに何度かつぶやいてきましたが、昨年、菅首相(当時)が任命拒否した6名の学者・研究者はどの方も人文科学の専門家であり、その道の大家(たいか)
です。
 それにもかかわらず、理由も明らかにしないまま、今なお任命拒否の状態が続いています。
 今の政府与党は、歴史学、社会学、政治学等の成果である「人間が間違いを犯しやすい」ことを謙虚に受け止められないのだと思います。
 既に述べたように、学問の自由の保障と
その下での学問研究の自由な発展なくして、我々はよりよい未来を選択することはできません。
 しかし、まだ遅くはありません。
政府与党には、謙虚に受け止め、反省してもらいたいと思います。

 

(2021.10.12)


 

 

 No. 79大分・村八分事件の判決を受けて

1 昨日、大分地裁中津支部で、約3年間闘ってきた、いわゆる「村八分」事件の判決言渡しがありました。

私の依頼者である原告本人からすれば、既に8年超もの長期間にわたって、地域ぐるみ、つまり、集落の全員から、住民としては扱わない、そこに住んでいてもいないものとして扱うという過酷な差別やいじめを受け続けてきたことになります。

2 そうした中で昨日下された判決は、原告に対する差別やいじめが「村八分」であり、許されないことを明確に断罪してくれました。原告に対する「共同断交」の決議も、これに基づき集落の代表者である区長らが実際に行った差別やいじめも、全て違法であると認定してくれ、その上で、慰謝料請求事件としては比較的高額と思われる損害賠償の支払いを命じてくれたのです。

もちろん、この判決によってすべてが解決するわけではなく、これを機に、被告となった歴代区長らだけでなく、集落全体に考え方を改めてもらう必要がありますし、関係の再構築が最も重要な課題です。

3 本件は、村八分という言葉が独り歩きして、問題の本質を理解してもらいにくいようですが、村八分というのは地域での集団でのいじめにほかなりません。

つまり、集落の住民全員が率先して差別やいじめをしているというよりも、少数の影響力のある住民が主導し、他の住民は自分に火の粉が降りかかるのを恐れて異を唱えられない、結果として付和雷同して、皆で一人をいじめ、差別するという構造なのです。

つまり、子どものいじめ問題と何ら変わりません。

4 こうした本質に鑑みれば、村八分を主導した少数の方々に判決を真摯に受け止めてもらうことはもとより、付和雷同した他の住民の方々にも、自分たちがしたことで他者を傷つけ、追い詰め、計り知れないダメージを与えてきたことを直視してほしいと思います。

  以下は、昨日、判決を受けてマスコミ宛てに発した声明です。

  よろしければお読みください。

大分地裁中津支部令和3年5月25日判決を受けて

1 本日、大分地方裁判所中津支部にて、既に8年以上にも及ぶ長期間にわたって原告が居住する集落(自治会)で「村八分」にされ、様々な差別や嫌がらせを受け続けてきたことについて、判決が下されました。

  判決の内容は、差別を行ってきた歴代の自治会の長に対してはその責任を明確に断罪し、同種事件からすれば高額の慰謝料の支払いを命じたものですので、大いに評価できるものと考えています。

  他方で、歴代区長に対して市の広報誌の配布その他の行政事務を委嘱し、「自治委員」という公的称号まで与えていた被告自治体の責任を、国家賠償法の解釈や使用者責任の解釈により否定した点については、非常に残念に思っています。

  今後の対応については、検討したうえで控訴するか否かを決めたいと考えています。

2 敷衍すると、本件判決では、原告が集落で受けてきた仕打ちが、「村八分」にあたることを明確に断じています。

  そして、その具体的な内容として、原告が集落で、そして、被告ら歴代区長から受けてきた様々な差別や嫌がらせを、本件判決はかなり具体的に認定しています。

  その上で、本件判決は、こうした原告に対する村八分の扱いは、原告が集落の住民として平穏に生活する人格権ないし人格的利益を侵害するものであることや原告の被った精神的苦痛が相当なものになることは想像に難くないなどとして、前述のとおり、同種の事件に比較すれば高額と言える慰謝料の支払いを被告らに命じています。

  それゆえ、本件判決は、小さな集落で実際に起こった人権侵害を注意深く読み取り、原告が長年被ってきた甚大な精神的被害を救済すべく、慎重に考えてくれたものと思います。

  原告本人としても、本件判決により自身が一定程度救済されたことにはもちろん感謝しており、他方で、全国で同様の思いをしている人たちに対して何らかの示唆ないし救済になればいいと感じています。また、村八分をしている人たちには、これを機に、地域におけるいじめや差別をやめるように考え直してほしいと感じています。

3 最後に、被告自治体の責任が認められなかった点については、これから検討をいたしますが、現時点で申し上げられるのは、国家賠償法の解釈を巡って、なお疑問があるという点です。

被告自治体が歴代区長(自治委員)に様々な行政事務を委嘱し、いわば行政の末端として利用していたこと(本件判決も、自治委員が担ってきた事務の多くが、本来被告自治体が行うべきものであることを認定しています。)、また、そうした行政事務を担わせるにあたって「自治委員」という公的称号まで与えて権威付けしていたことは明らかだからであり、本件は、その行政作用を遂行する過程で、意図的な差別が行われ、原告が村八分にされた事件だからです。

確かに、自治委員が担ってきた行政事務は、市の広報誌の配布や現実に居住している住民の数の報告など、必ずしも権力的なものとは言えない、それ自体としては事実行為に過ぎないかもしれませんが、市からの伝達事項をある人には届け、ある人には届けないという差別的運用がなされる恐れがある作用であり、現に本件ではそれが現実化しています。

それゆえ、公権力の行使にはあたらないとの判断についてはやはり疑問があり、この点については、控訴するか否か慎重に検討したいと考えています。


(2021.5.26)

 


 

No. 78 「赤狩り」に思う

1 先日発売されたビッグコミックオリジナルで、連載されていた「赤狩り」が完結しました。

  ビッグコミックオリジナルは、もう30年くらい愛読している漫画雑誌です。

  読み始めたきっかけは、「家栽の人」が連載されていたからでした(因みに、「家栽の人」は家庭裁判所判事の桑田さんが主人公の漫画ですが、「家裁」ではなく、「家栽」というタイトルです。その理由を知りたい人は、是非、「家栽の人」を読んでみてください。)。

2 その後も、面白い漫画は数々ありましたが、今回連載が終了した「赤狩り」は、昨今の政治・社会状況等ともなぜか符合していて、とても考えさせられる作品でした。

  いうまでもなく「赤狩り」は、アメリカ合衆国における1940年代後半から50年代に吹き荒れた、国家による熾烈な人権弾圧活動のことです。

  「反米的である」との疑いをかけられた人(必ずしも共産党に関係していなくても、いわゆるリベラルな人たち(国家権力や政府のやり方に疑問を呈していた人たち)の多くが疑いをかけられたようです。)に対する下院非米活動調査委員会での質問「あなたは共産党員か。又は、かつて共産党員だったことがあるか」というのは、あまりに有名なセリフですが、国会で、国民に対して、思想信条の告白を求めたり、他者について密告を求めたりし、それに応じない者に対しては議会侮辱罪で投獄したりしていたのです。

3 現実の赤狩りがどのようなものだったかは、当時、私はまだ生まれていなかったので、あまりよく知りません。

  ただ、大学で、初めて赤狩りというものがあったことを知り、しかも、それが、自由と民主主義の大国であるアメリカ合衆国で、第2次世界大戦後であるつい最近行われたものだということを知り、驚愕し、ショックを覚えました。

  幸い、私が進学したのは法学部という、いわゆる、極めて「無駄」なことを、多くの時間を「無駄」に費やして考え、学ぶ場所だったので、人類史上の人権侵害の中でも、歴史的なものとして学ぶべきものというよりも、つい最近の出来事、あるいは現在も進行中であるかもしれない人権侵害事例として、赤狩りを教わったのです。

4 赤狩りが行われた当時のアメリカは、まさに東西冷戦のさなかであったという特殊事情はあります。

しかし、赤狩りは、忘れたくても忘れられない、消したくても消せない、アメリカの負の歴史そのものだと言えるでしょう。

5 漫画の「赤狩り」では、国家から反米的であるとのレッテルを貼られた「ハリウッド・テン」(ハリウッドから追放された10人のことです。)、中でも、「ローマの休日」、「スパルタカス」、「ジョニーは戦場に行った」などの作品で知られるダルトン・トランボを主人公として、当時、アメリカで何が起こっていたのかが描かれています。

  ダルトン・トランボは、赤狩りにより一時はハリウッドを追われ、食べるために、他人の名前を借りたり、偽名を使ったりして作品を書き続けました。

  その偽名で書いたりした作品を、彼を追放したハリウッドは、それと知らずにアカデミー賞作品に選んだのです。

皮肉というほかありません。

  赤狩りの嵐が病み、最終的にダルトン・トランボは、自らの名前で作品を著し、再びアカデミー賞を受賞します。

  ただ、それまでの彼や家族の苦難・苦痛は想像するに余りあります。

  私であれば、果たして同じような行動ができただろうか、と考えると、「多分、無理だな」としか思えないのです。

6 ちょうど、この漫画がまさに佳境に差し掛かったところで、昨年の「日本学術会議任命拒否問題」が起りました。

  日本学術会議のメンバーは、これまで推薦どおりに任命されてきており、従来の政府の説明も「形式的任命」(日本学術会議の推薦に基づき、そのまま任命するもの)ということでした。

  ところが、昨年秋、突然、政府は、従来の解釈ないし運用を改めたとして、日本学術会議が推薦した候補者のうち、5人を任命しなかったのです。

その理由について政府は説明していませんが、5人の学者(いずれも人文科学系)が、これまでの安部・菅政権で推し進められてきた政策や立法に反対の立場を表明していたことは明らかになっています。

7 日本学術会議の性格や使命について一言で説明することはできませんが、簡単に言えば、自然科学・人文科学それぞれの分野で実績のある研究者等に、政府・国会等の国家機関からは独立かつ中立の立場で、専門的な意見を提言してもらうための機関です。

  学問の自由・独立を当然の前提とし、自由闊達な学問・研究の成果を政治や立法に反映するためのものであり、戦前の反省の意味も含まれています(戦前、学問・研究が時の政府により弾圧された例として、天皇機関説事件や滝川事件はあまりに有名です。)。

  裏返していえば、学問・研究が時の政府や権力者によってコントロールされたり、政府の意向に反する学者等を排除するという事態は、国を危うくしかねない、そのような危機感のもとに設立され、運営されてきた機関です。

  その日本学術会議の委員の任命について、理由も示さないまま、政府の方針に反対を表明してきた学者たちを排除したのが、日本学術会議任命拒否問題なのです。

そして、任命拒否の理由を説明しないということ自体も、疑心暗鬼を生み、今後の日本学術会議の運営にも、日本中の研究者や学者の研究活動・表現活動にも委縮効果(自由に研究テーマを選べない、自由に研究成果を発表できない効果)を生じさせかねない状態となっています。

8 当然のことながら、この問題に関して、学者、文化人、マスコミ等多くの方々が政府に対して様々な批判を表明しました。

しかし、今の今まで政府は撤回していません。

  日本学術会議任命拒否問題は、単に学者や研究者の自由、学問の自由・独立の問題では終わりません。

  学者や研究者の学問の自由、学問的表現・言論の自由が政府や権力者の意向によって狭められれば(政府の意に反する研究や成果の発表ができないことになれば)、次は市民の表現・言論活動も政府や権力者の意向によって狭められることになるでしょう。

  そして、そのとき、そうした表現・言論の抑制は、文学的にも、哲学的にも、歴史学的にも、政治学的にも、法学的にも、経済学的にも誤りだと指摘し、糾してくれる学者や研究者は、もういなくなっているのかもしれないのです。

9 先ほど、私が学んだ法学部での学問を、あえて「無駄」と書きましたが、当然ながら、私は全く「無駄」とは思っていません。

  人類史を紐解き、人類の経験と叡智を結集・体系化し、未来を見通すための学問である人文科学(文学、哲学、歴史学、法学、政治学、経済学等)は、自然科学と比べれば、確かに目覚ましい成果や発見等は得られにくいかもしれません。

また、人文科学は、政府や権力者に対してその手足を縛ったり、諫めたりする場合が多いため、無駄というにとどまらず、邪魔とさえ映るかもしれません。

しかし、この無駄や邪魔と思われることさえある人文科学は、人権侵害や戦争という人間の失敗、同じ過ちを繰り返さないために、人類共通の教訓や守るべきルールを模索し、時の権力者に提示し続けるものであって、決して無駄ではなく、逆に、権力者から疎まれれば疎まれるほど重要性が増す学問だと思うのです。

10 70年も前に起こったアメリカ合衆国の負の歴史が、今この日本で再来しているのではないか、日本学術会議任命拒否問題が、赤狩りに重なって見えてしまうのは私だけでしょうか。

(2021.4.7)

 

 No. 77 24年目の事務所移転

 

 昨日、事務所を移転しました。

 移転といっても、距離にして1㎞も離れていないのですが、開業当初から満23年間、執務・営業してきた事務所を移転するにあたっては、感慨深いものがありました。

 この間、旧事務所には本当にたくさんの方が相談に来られ、たくさんの方の、それこそ千差万別の悩みや困りごとをお聞きし、法律的・経済的・社会的苦境にある方々・企業に対して、その時々、その時点で自分にできうる限りの精一杯の助言と助力をしてきたつもりです。そして、その結果、たくさんの方々にご安心とご満足を感じていただくこともできたのではないかと感じています。

 また、私が巡り合った事件の中で、私なりに社会的に正しくない、救済すべきだと信じる事態や制度に対しては、可能な限り挑戦し、その中で、依頼者と共感したり、喜んだり、一緒に腹を立てたりしながら、多くのことを学ばせてもらい、経験を積ませてもらったとも感じています。

 多くの方々のご指導や支えがあったおかげで、満23年間、弁護士活動を続けてこられたわけですが、上に書いたこととは裏腹に、まだまだ理解が浅い制度や経験が十分とはいえない分野もあることは承知しています。

 ですので、今後さらに精進して、新事務所では、旧事務所時代をより上回る、真の意味で良質な法的助言や助力を、より多くの方々や企業に提供できるよう努力を惜しまぬ所存です。

 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(2021.3.23)

 


 No. 76菅首相による
    学術会議会員任命拒否に対する抗議声明
       (2020.10.13)

 現在問題となっている日本学術会議に関する任命拒否の問題について、私が支部長を務めている自由法曹団大分県支部が、先日、下記のとおり、抗議声明を発しました・・(全文を読む)


No. 75コロナ禍のお盆~                  (2020.8.4)

1 まもなく、今年もお盆が・・・(全文を読む)


No. 74いじめと教師の暴力                  (2020.7.22)
1 今日は「いじめ」と「教師の暴力」のお話をします。 といっても、「いじめ」本体に関するお話というよりも・・・(全文を読む)


No. 73頻発する豪雨災害と投票率について         (2020.7.1)

1 また今年も、九州地方全域を中心に、甚大な・・・(全文を読む)


 No. 72ネット(SNSも含めて)上の意見表明と誹謗中傷について

    (2020.7.2)

1 先般、「♯検察庁法改正案に抗議します」というタイトルで、SNS等・・・・(全文を読む)


No. 71検察の独善防止と民主的コントロールについて(2020.5.21)
No. 70検察庁法改正案について                        (2020.5.18)
No. 69コロナ禍の中の小中高校生について      (2020.5.8)
No. 68中津市民花火大会中止のお知らせ       (2020.4.30)
No. 67コロナ禍の中の大学生について               (2020.4.27)
No. 66自治会(地縁団体)での除名や差別について  (2018.9.17)
No. 65中津市民花火大会、今年も無事終了       (2018.8.3)

No. 64中津市民花火大会まであと9日           (2018.7.18)No. 63参院合区と憲法の関係について                  (2018.7.1)
No. 62鉄道の合理化と安心感について                  (2018.6.2)
No. 61花火大会準備真っ最中                      (2018.6.14)

No. 60すべての性の平等に関する委員会          (2018.6.7)
No. 59「潰せ」という言葉と解釈の乖離?           (2018.5.24)
No. 58塀のない刑務所と脱走                       (2018.5.8)
No. 57学生生活=銭湯                       (2018.4.20)
No. 56事務所開設満20年                            (2018.4.10)
No. 55大阪・鶴橋・焼肉旅行                    (2018.4.6)
No. 54小さな冒険                                   (2018.3.22)
No. 53学校の制服                            (2018.2.14)
No. 52健康で文化的な最低限度の生活          (2018.2.6)
No. 51道路の安全確保                                    (2018.1.18)

No. 50大雪とセンター試験                       (2018.1.12)

No. 49仕事始め                           (2018.1.5)
No. 48仕事納め                             (2017.12.28)

No. 47東京出張と読書                                   (2017.12.18)
No. 46礼儀と礼節                                         (2017.12.6)
No. 45最近の事例(約24億円全面勝訴)のご報告    (2017.12.4)

No. 44点字ブロックについて                    (2017.11.20)

No. 43両性の本質的平等(憲法14条、24条)と多様性と個人
                                      
 (2017.11.8)
No. 42 講演や講義                         (20017.10.25)
No. 41 二院制について                          (2017.10.4)
No. 40 離党と法の支配                         (2017.9.14) 
 No. 38 出張ラッシュ                     (2017.9.6)
No. 37 忘れられる権利~                                    (2017.8.28)
No. 36 人権って、なに?‐終戦記念日に思う          (2017.8.15)
No. 35 久しぶりの母校                        (2017.8.7)
No. 34 中津市民花火大会成功のご報告とお礼    (2017.7.31)
No. 33 いよいよ明日、中津市民花火大会        (2017.7.27)
No. 32 日本スポーツ法学会夏期合同研究会 at 福井大学                                                                                (2017.7.24)
No. 31 魔女狩り                                              (2017.7.14)
No. 30 豪雨被害                                                     (2017.7.14)
No. 28 共謀罪について                           (2017.6.16)
No. 27 今年も花火大会開催します                    (2017.6.12)
No. 26 若年者に対する制裁と支援                       (2016.6.17)
No. 25 責任無能力者の不法行為と損害の賠償        (2016.3.24)
No. 24  大雪と断水と水道管                          (2016.2.2)
No. 23 ~ 講演って、やっぱり楽しい             (2016.1.7)
No. 22 ~ 講演って難しい                          (2015.12.7)
No. 21子どもの貧困についてPart2              (2015.11.10)
No. 20 文化の日                        (2015.11.3)
No. 19 妊娠・出産の自由                        (2015.10.30)
No. 18 TPPと国土の保全                  (2015.10.15)
No. 17 法律用語と日常用語                              (2015.10.1)
vol.16   独裁と世襲 ~ 独裁制に向かっている?   (2015.9.15)vol.15   「売国奴」、「思考停止」という言葉         (2015.9.1)
vol.14   花火を楽しむ                             (2015.8.11)
vol.13   いじめについて                       (2015.7.13)
vol.12 集団的自衛権と憲法解釈と立憲主義について(№2)~ 
                                     (2015.6.19)
vol.11 集団的自衛権と憲法解釈と立憲主義について(№.1)~ 
                                         (2015.6.12)
vol.10  子どもの貧困                          (2015.5.13) 
vol.9 無関係と無関心について民主主義社会に生きる私たち
                               
       (2015.4.28)

vol.8  ~ 被害者加害者  交通事故                  (2015.4.16)  
vol.5 少年犯罪について少年法改正は必要か     (2015.3.6)vol.4 職場におけるハラスメントセクハラ・パワハラと対策 
                              
       (2015.3.2)
vol.3 女性の再婚禁止規定について 6か月間の再婚禁止期間
                                       (2015.2.23)
vol.1 性同一性障害 制服を考える              (2015.2.5)