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vol.11 ~集団的自衛権と憲法解釈と立憲主義について(№.1)~|大分県中津市弁護士中山知康

vol.11 ~ 集団的自衛権と憲法解釈と立憲主義について(№1) 

 



今回は2回に分けて集団的自衛権と憲法のお話、ですので、少々固いお話をしようと思います。

まず1回目の今日は、集団的自衛権の憲法適合性の問題と立憲主義についてです。

 政府・与党は現在、昨年閣議決定した集団的自衛権の(限定的)容認を正式に認めるための安保関連法案を国会に上程し、審議していますが、皆さんはテレビや新聞で伝えられる現在の状況をどのように見ておられますか?

ネット上の書き込みなどを見ていると、わざとなのかは分かりませんが、論点を整理しないまま、というよりも、あえて論点をずらしたような感情的な意見も見られます。しかし、この問題は、私たちの今の生活だけでなく、先々の生活、そして、子どもたちの未来に大きく関わってくる非常に重要なものですから、極力ポイントを整理して、自分の頭で考え、人の意見を聞き、さらにまた考え、自分なりの意見を表明する必要があると思うのです。

 この問題を考えるにあたって、集団的自衛権の必要性の議論と現在の安保関連法案の憲法適合性の問題とは、厳密に分けておく必要があると思います。仮に集団的自衛権行使容認の必要性が高いとしても、必要性があれば憲法に合致するというものでないことは論理的に明らかで、仮に今の安保関連法案が憲法に適合しないなら、憲法を変えるのかどうかまで、きちんと議論しなければならないからです。

そうでないと、仮に必要性があれば合法という論理がまかり通るのであれば、これまで違法とされてきた行為なども、必要性が生じさえすれば法改正などの手続きを経ないままでも合法とされるということになり、それこそ、法治主義の死、つまり、無秩序を招きかねません。そして、無視される法規範が憲法の場合には、立憲主義の死、つまりは独裁をも招きかねないからです。

 現在の安保関連法案が合憲であるか違憲であるかについては、国会でもマスコミでも大騒ぎの状況になっていますが、世論調査とかアンケートなどでは、違憲と考える人の方が多いように感じています。

もっとも、合憲か否かは純粋に憲法学上の解釈の問題であって、仮に大多数の人が合憲だと考えても、それによって合憲という結論が導かれるものではありません。つまり、条文に書かれた言葉の持つ本来の意味とか、類似の事案についてその言葉がどのように解釈されているかとか、今回そういった解釈を採用した場合、今後発生する事態についてどのように適用され、どのように運用されていくことになるかとか、さらには、これまで積み重ねられた解釈がある場合にそれを実質的に変更することになる場合には、国民に対する予測可能性とか法的安定性(その場その場で解釈が異なりうるとなれば、その法規範は、もはや規範としての意味や拘束力を失ってしまいます。)とかを総合的に考慮して判断すべきものです。

それゆえ、大多数の人が合憲だと考えても、条文の解釈としてそのような解釈が成り立たないとか、法的安定性の見地から採用しえない場合には、やはり憲法違反とされるべきであって、その上で、大多数の人が合憲とするような法整備を求めるのであれば、その憲法の条文自体を改正するか否かを検討しなければならないのです。

 ところで、現在国会では、先日の憲法審査会に3人の憲法学者が参考人として出席し、現在の安保関連法案について憲法違反だと指摘したことをめぐって激論が交わされています。

私の意見を率直に言えば、現在の安保関連法案は当然ながら憲法違反であり、また、これまで蓄積されてきた憲法解釈を昨年の閣議決定で変更し、その変更した解釈に照らせば合憲だなどとする姿勢は立憲主義にも反します。

前述の憲法審査会に参考人として出席した憲法学者3人は、官房長官の言葉を借りればそれこそ「著名な憲法学者」であり、現在の憲法学会の代表格のような人たちであることは明らかです。おそらく、憲法学を学んでいる学生らにとっては、現在の憲法学者のうちでも最も有名な人たちという部類に入ると思います。

さらに言えば、200名近い憲法学者たちが憲法違反だとする声明も発表しています。この憲法学者200名ってすごい数字だと思いませんか?私は日本に憲法学者・研究者が何人いらっしゃるかは知りませんが、もともと法学部のある大学の数自体がそんなに多いわけではありませんし(国立大学では14校、公立大学では2校、私立大学でも77校だけです。)、その中でも憲法学者・研究者となると、自ずから数は限られています。ですから、現在の安保関連法案について200名近い憲法学者が口をそろえて憲法違反だと言っているのは、かなり大きな意味を持っていると思います。

 これに対して、憲法学者が憲法違反だと言おうが、政策決定は政治家の仕事だというような反論が自民党からはなされています。

確かに政策決定は政治家が主体的に考え、国民に提示し、決定するべきものでしょう。

でも、憲法違反か否かという問題と政策決定の問題とは、次元がそもそも異なるのであり、どちらかを採用するというような問題ではありません。現在の自民党の主張は、問題のすり替えというほかないと思います。

政策として安全保障環境を整える必要があると国会が決めるのであればそれはそれで構いませんが、そうしてできあがった法律案が憲法に違反するのなら、その法律案自体を改めるか、憲法の条文そのものについて改正を発議し、国民投票に付するかしなければならないのです。それが立憲主義であり、政治家や国家権力は、政策決定にあたって、憲法に縛られ、憲法の定める手続きに従わなければならず、政策決定やその遂行のために憲法の条文そのものを改正する必要があるのなら、憲法の定めに従って、憲法改正を発議し、国民投票に付さなければならないのです。

こうした憲法の定めを無視し、解釈の変更などで乗り切ろうとする態度は、まさに立憲主義に反するものであり、独裁制にも通じるものというほかないと思います。

 最後に、現在の安保関連法案がなぜ憲法違反といえるのかですが、本稿はガチガチの憲法論等を展開するというよりも、肩肘張らずに読んでいただき、私も肩肘張らずに書きたいことを書くというスタンスですので、ここでは詳細には触れませんが、憲法9条2項は戦力の不保持と交戦権の否認を定めています。ですから、日本が自衛権を持つと言っても、この条文の文言からくる解釈の限界は自ずから存在します。

戦力を持たず、交戦権も持たないことを前提として自衛権はあるという場合、その自衛権を簡単にイメージすると、戦力とは言えない程度の自衛のための実力や装備を保有して、武力攻撃してきた外国等の部隊を日本の領空、領海、領土から排除する(追い出す)ことくらいしかできないというのが素直な解釈です。

そうすると、政府の説明する存立危機事態、即ち、日本と親密な他国が武力攻撃を受けていて、それによって日本の存立も脅かされるという場面(別項で述べますが、他国への攻撃だけで、日本自身が武力攻撃を受けたのと同程度に存立を脅かされる事態などというものがそもそもありうるのか疑問ですが)でも、日本自身は武力攻撃を受けていない以上、憲法9条の下では自衛権も発動しえないはずであって、このような場面で集団的自衛権の行使としての武力行使を認めることは、憲法9条に反するものであることは明らかだと思います。

それゆえ、これでは政策的に不都合だというのなら、憲法9条そのものの改正を、正々堂々と国会で発議して、国民投票に付すべきなのです。

それにもかかわらず、条文の文言上、無理な解釈変更によって、集団的自衛権を認めようとすることは、条文の文言の解釈可能な範囲を超え、また、これまで蓄積されてきた解釈をいとも簡単に変更することで法的安定性も損ね、憲法の法規範としての意味や拘束力までなくしてしまいかねません。つまり、憲法の存在意義がなくなり、権力を縛る道具として機能しなくなってしまう、要するに独裁制に結び付くのです。

(2015.6.12)



  *日本国憲法9条1項   日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実
                   に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇また
                   は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永
                   久にこれを放棄する。

     2項   前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
              これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。