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No. 49~仕事始め~|大分県中津市弁護士中山知康




あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、私の事務所は、今日が仕事始めです。

昨年末から昨日までの年末年始の休暇は、年末から引いていた風邪が治らずに長引き、どうもすっきりしない日々でした。

とはいえ、ようやく風邪も治ったようですので、今日からまた、バリバリ働こうと思います。

ところで、お正月に初詣に行かれた方も多いと思いますが、考えてみれば、不思議な風習だと思いませんか。日頃から神社仏閣にお参りしている方ももちろんおられますが、多くの方は、神社やお寺の役員とかお祭り等に関わっている人でない限り、普段はあまりお宮やお寺に足を運ぶ機会は少ないのではないかと思うのです。ところが、年の初めには、家族そろってお宮やお寺に、早朝、場合によっては深夜から詣でてお参りをするという風習が特に違和感なく、過去から現在まで続いてきていますし、きっとこれからも続いていくのだと思うと、何とも不思議な感じを受けるのです。

もちろん、日本でも、信仰に基づき定時的に礼拝を捧げたり、教会等に出向かれる方もおられますが、特定の信仰に基づく宗教行為ないし宗教活動をしている方は必ずしも多くはないのが日本の特色の一つだろうと思いますので、初詣という風習は、そのような日本にあって独特の文化なのかもしれないと思い、不思議に感じたのです。

全く違う場面ですが、私としては同じように不思議な感覚を抱くことが職業柄もう一つあります。それは、裁判での証人尋問等の際、尋問に先立って行われる宣誓の儀式です。

儀式といいましたが、特段儀式として行われるものではなく、法律に基づいて行われるものなのですが(専門的にいえば、宣誓の上であえて虚偽のことがらを述べると偽証罪に問われるという、法律要件の一つをなすものです。)、私は、初めて証人尋問に立ち会った司法修習生のころから、宣誓の儀式で不思議な感覚を覚えるのです。宣誓の儀式では、証人等が宣誓書を手に取って読み上げ、その間、法廷内にいる人は全員立ち上がって頭を垂れ、宣誓を聞いているのですが、普段から特段信仰心のない私でも、このときばかりは、謙虚な気持ちというか、畏怖の念を覚えるというか、とにかく神聖な心持ちになるのです。

日本の裁判所での宣誓の儀式は、特定の神仏に対して誓うという性質のものではなく、その意味ではまさに法律に基づく宣誓の儀式なのですが、それでも、頭を垂れて宣誓を聞いている間、頭上に神聖な存在を感じ、嘘や偽りは許されない気配を何となく感じるのです。

誤解を生じる言い方をしたかもしれませんが、スピリチュアルなことを言っているのではなく、宣誓の上で証言するという行為は、私にとってはとても厳かで神聖なものだと感じる瞬間であり、初詣などで神社仏閣にお参りしているときと同じ感じがするのです。

もちろん、私のように感じている人ばかりではないでしょうし、むしろ、法律に基づく儀式として淡々と、あるいは粛々と遂行し、宣誓を聞いておられる方も多いでしょうが、私にとっては、宣誓をするということは、もはや嘘はつけない、見透かされている、それでも嘘をついたりすればバチが当たる、という感覚が神仏にお参りするときと同じであり、場面は全く違うはずなのに同じように感じられることが不思議なのです。

年始からなんだかとりとめのないお話しをしましたが、普段は意識しない、自分の力ではどうにもできない絶対的な存在とか、神聖な何かを意識したとき、嘘はつきにくいのだと思います。それは、例えば敬虔なクリスチャンが聖書に手を置いて真実を述べたり懺悔をささげるという場面だけでなく、一見特定の信仰心を持たないように見える私のような人間でさえ、素直にならざるを得ない瞬間というものがあり、それを道義心とか倫理観とか言い表すことも可能かもしれませんが、できればそのようなものに正義が照らされるよう、今年も努力していきたいと思う年頭の所感です。

(2018.1.5)