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No.78 ~「赤狩り」に思う~ |大分県中津市弁護士中山知康

1 先日発売されたビッグコミックオリジナルで、連載されていた「赤狩り」が完結しました。

  ビッグコミックオリジナルは、もう30年くらい愛読している漫画雑誌です。

  読み始めたきっかけは、「家栽の人」が連載されていたからでした(因みに、「家栽の人」は家庭裁判所判事の桑田さんが主人公の漫画ですが、「家裁」ではなく、「家栽」というタイトルです。その理由を知りたい人は、是非、「家栽の人」を読んでみてください。)。

2 その後も、面白い漫画は数々ありましたが、今回連載が終了した「赤狩り」は、昨今の政治・社会状況等ともなぜか符合していて、とても考えさせられる作品でした。

  いうまでもなく「赤狩り」は、アメリカ合衆国における1940年代後半から50年代に吹き荒れた、国家による熾烈な人権弾圧活動のことです。

  「反米的である」との疑いをかけられた人(必ずしも共産党に関係していなくても、いわゆるリベラルな人たち(国家権力や政府のやり方に疑問を呈していた人たち)の多くが疑いをかけられたようです。)に対する下院非米活動調査委員会での質問「あなたは共産党員か。又は、かつて共産党員だったことがあるか」というのは、あまりに有名なセリフですが、国会で、国民に対して、思想信条の告白を求めたり、他者について密告を求めたりし、それに応じない者に対しては議会侮辱罪で投獄したりしていたのです。

3 現実の赤狩りがどのようなものだったかは、当時、私はまだ生まれていなかったので、あまりよく知りません。

  ただ、大学で、初めて赤狩りというものがあったことを知り、しかも、それが、自由と民主主義の大国であるアメリカ合衆国で、第2次世界大戦後であるつい最近行われたものだということを知り、驚愕し、ショックを覚えました。

  幸い、私が進学したのは法学部という、いわゆる、極めて「無駄」なことを、多くの時間を「無駄」に費やして考え、学ぶ場所だったので、人類史上の人権侵害の中でも、歴史的なものとして学ぶべきものというよりも、つい最近の出来事、あるいは現在も進行中であるかもしれない人権侵害事例として、赤狩りを教わったのです。

4 赤狩りが行われた当時のアメリカは、まさに東西冷戦のさなかであったという特殊事情はあります。

しかし、赤狩りは、忘れたくても忘れられない、消したくても消せない、アメリカの負の歴史そのものだと言えるでしょう。

5 漫画の「赤狩り」では、国家から反米的であるとのレッテルを貼られた「ハリウッド・テン」(ハリウッドから追放された10人のことです。)、中でも、「ローマの休日」、「スパルタカス」、「ジョニーは戦場に行った」などの作品で知られるダルトン・トランボを主人公として、当時、アメリカで何が起こっていたのかが描かれています。

  ダルトン・トランボは、赤狩りにより一時はハリウッドを追われ、食べるために、他人の名前を借りたり、偽名を使ったりして作品を書き続けました。

  その偽名で書いたりした作品を、彼を追放したハリウッドは、それと知らずにアカデミー賞作品に選んだのです。

皮肉というほかありません。

  赤狩りの嵐が病み、最終的にダルトン・トランボは、自らの名前で作品を著し、再びアカデミー賞を受賞します。

  ただ、それまでの彼や家族の苦難・苦痛は想像するに余りあります。

  私であれば、果たして同じような行動ができただろうか、と考えると、「多分、無理だな」としか思えないのです。

6 ちょうど、この漫画がまさに佳境に差し掛かったところで、昨年の「日本学術会議任命拒否問題」が起りました。

  日本学術会議のメンバーは、これまで推薦どおりに任命されてきており、従来の政府の説明も「形式的任命」(日本学術会議の推薦に基づき、そのまま任命するもの)ということでした。

  ところが、昨年秋、突然、政府は、従来の解釈ないし運用を改めたとして、日本学術会議が推薦した候補者のうち、5人を任命しなかったのです。

その理由について政府は説明していませんが、5人の学者(いずれも人文科学系)が、これまでの安部・菅政権で推し進められてきた政策や立法に反対の立場を表明していたことは明らかになっています。

7 日本学術会議の性格や使命について一言で説明することはできませんが、簡単に言えば、自然科学・人文科学それぞれの分野で実績のある研究者等に、政府・国会等の国家機関からは独立かつ中立の立場で、専門的な意見を提言してもらうための機関です。

  学問の自由・独立を当然の前提とし、自由闊達な学問・研究の成果を政治や立法に反映するためのものであり、戦前の反省の意味も含まれています(戦前、学問・研究が時の政府により弾圧された例として、天皇機関説事件や滝川事件はあまりに有名です。)。

  裏返していえば、学問・研究が時の政府や権力者によってコントロールされたり、政府の意向に反する学者等を排除するという事態は、国を危うくしかねない、そのような危機感のもとに設立され、運営されてきた機関です。

  その日本学術会議の委員の任命について、理由も示さないまま、政府の方針に反対を表明してきた学者たちを排除したのが、日本学術会議任命拒否問題なのです。

そして、任命拒否の理由を説明しないということ自体も、疑心暗鬼を生み、今後の日本学術会議の運営にも、日本中の研究者や学者の研究活動・表現活動にも委縮効果(自由に研究テーマを選べない、自由に研究成果を発表できない効果)を生じさせかねない状態となっています。

8 当然のことながら、この問題に関して、学者、文化人、マスコミ等多くの方々が政府に対して様々な批判を表明しました。

しかし、今の今まで政府は撤回していません。

  日本学術会議任命拒否問題は、単に学者や研究者の自由、学問の自由・独立の問題では終わりません。

  学者や研究者の学問の自由、学問的表現・言論の自由が政府や権力者の意向によって狭められれば(政府の意に反する研究や成果の発表ができないことになれば)、次は市民の表現・言論活動も政府や権力者の意向によって狭められることになるでしょう。

  そして、そのとき、そうした表現・言論の抑制は、文学的にも、哲学的にも、歴史学的にも、政治学的にも、法学的にも、経済学的にも誤りだと指摘し、糾してくれる学者や研究者は、もういなくなっているのかもしれないのです。

9 先ほど、私が学んだ法学部での学問を、あえて「無駄」と書きましたが、当然ながら、私は全く「無駄」とは思っていません。

  人類史を紐解き、人類の経験と叡智を結集・体系化し、未来を見通すための学問である人文科学(文学、哲学、歴史学、法学、政治学、経済学等)は、自然科学と比べれば、確かに目覚ましい成果や発見等は得られにくいかもしれません。

また、人文科学は、政府や権力者に対してその手足を縛ったり、諫めたりする場合が多いため、無駄というにとどまらず、邪魔とさえ映るかもしれません。

しかし、この無駄や邪魔と思われることさえある人文科学は、人権侵害や戦争という人間の失敗、同じ過ちを繰り返さないために、人類共通の教訓や守るべきルールを模索し、時の権力者に提示し続けるものであって、決して無駄ではなく、逆に、権力者から疎まれれば疎まれるほど重要性が増す学問だと思うのです。

10 70年も前に起こったアメリカ合衆国の負の歴史が、今この日本で再来しているのではないか、日本学術会議任命拒否問題が、赤狩りに重なって見えてしまうのは私だけでしょうか。

(2021.4.7)