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No. 48~仕事納め~|大分県中津市弁護士中山知康

 

今日、私の事務所は、今年の仕事納めです。

朝から大掃除をする予定ではあったのですが、今日も打合せが入っていたことと、昨日、年末ギリギリで和解できた件の対応とで、まだ大掃除には
着手できていません。

ともあれ、今年もたくさんの方々にお世話になり、無事一年を締めくくれそうです。また、この欄をご覧いただいた方々にも、お礼申し上げます。

ところで、先日の「東京出張と読書」の最後の方で、「君たちはどう生きるか」を読んで、「悪魔の辞典」という本における「平和」の定義を連想したというお話をしました。今日は少しだけその続きをお話しします。

「悪魔の辞典」では、「平和」について、概ね「戦争と戦争の間の状態」という定義がなされていたと思います。要するに、「平和」とは、前の戦争と、これから起こる戦争の間の一時的な状態に過ぎないという、ある意味では真理ですが、なんとも皮肉で無機質な言い方をしているのです。

私が「君たちはどう生きるか」という本を読んで、この言葉を連想したのは、この本の中で、主人公の叔父さんが日記にしたためた「人間が本来、人間同士調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。」という言葉と、主人公が同じく日記にしたためた「僕は、すべての人がお互いによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして、僕は、それに役立つ人間になりたいと思います。」という言葉に出会ったからです。特にこの主人公の言葉は、15歳の少年らしい、未熟だけどまじめで、そして清廉な言葉であるため、胸に迫るものがありました。

まさにそのとおりだと思うのと同時に、この本が書かれたのは1937年のことであるにもかかわらず、その後、人類は第二次世界大戦と太平洋戦争を経験し、今もなお、世界中で紛争と戦争がなくならない中で私たちは生きていることを思うと、主人公の言葉を通して作者が子どもたちに語り掛けたことは未だに実現できていないことを痛感し、やりきれない思いにも駆られたのです。

前述の悪魔の辞典の定義どおりのことを私たちは未だに繰り返しているということ、そして、「君たちはどう生きるか」の主人公の叔父さんが語った「お互いに愛し合い、お互いに好意をつくしあって生きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。また、人間である以上、誰だって自分の才能をのばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やりきれなく思うのだ」という現状を、何十年も経った今でもなにひとつ変えられていないことを痛感させられたのです。

他方で、昨今、超大国の指導者が力による平和の実現というようなことをほのめかしたりすることにも愕然としています。力、即ち、武力行使や武力による威嚇という言葉と平和という言葉とが、存在そのものとして矛盾することは、おそらく子どもでもわかることだからです。

力による平和の実現とは、要するに、平和を実現するためという大義名分の下に、戦争をして相手をせん滅させたり、屈服させること、又はその逆(自分たちが滅び、又は屈服させられること)を意味します。また、平和を維持するためという大義名分のために、武力による威嚇や武力による抑止力の均衡を保つというのは、平和維持という名の下で、実は常に緊張状態(隙を見せたり、相手よりも軍事力が劣るような事態になればいつ攻撃されるかわからないという差し迫った緊張状態。テロの恐怖も同じです。)の中でいつも過ごさなければいけないことを指しています。

はたしてこれを平和と呼べるのでしょうか?

前述の「君たちはどう生きるか」の主人公や叔父さんの言葉どおり、平和という言葉と武力とは、本来両立しないものであり、平和であるためには、武力に頼ったり、武力の均衡を保つのではなく、相互の信頼と友情と寛容とを世界中に押し広げていくしかないと思うのです。そして、それこそが本来の意味での積極的平和主義だと思うのです。

もちろん、言葉でいうほど簡単ではなく、だからこそ未だに何も変わらない現状の中で過ごしていることは分かっています。しかし、その理想を簡単に捨てるわけにもいきませんし、なによりも力による平和の実現などという自己矛盾の言葉でごまかされるわけにはいきません。

ともあれ、来年が、今よりもましな平和な一年になりますよう、そして、皆様にとって良い年でありますように、祈念しながら今年のこの欄を終えたいと思います。

一年間、ありがとうございました。

(2017.12.28)