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No. 43 ~両性の本質的平等(憲法14条、24条)と多様性と個人~|大分県中津市弁護士中山知康

1 のっけから引かれる方もいるかと思いますが、私は護憲論者です。

日本国憲法は、近代憲法の正常進化の末に、2度の世界大戦を経て人類が獲得した英知の結集だからです。その系譜は、著名なアメリカ独立宣言やフランス人権宣言などで高らかに掲げられた人類の普遍的な価値としての人権思想(国家からの自由)と、それを守る装置としての立憲主義、民主主義を脈々と受け継ぎ、その後社会権を初めて明文化したワイマール憲法を踏まえて、社会権(生存権、教育を受ける権利、労働基本権)も充実させています。さらには、2度の世界大戦とその結果たる世界の惨状を踏まえて、永久的な不戦の誓いという高邁な理想まで宣言しています。

実際にも、その後に採択された世界人権宣言や国際人権規約は、いわば日本国憲法で先取りした価値観を再確認したという印象さえあります(私たち日本人が国際人権規約を読んでも、言葉遣いの特殊性という点はおいて、何も違和感は抱きません。)。それほど、日本国憲法の完成度は高いのです。

2 しかし、日本国憲法を取り巻く環境は年々厳しさを増しており、憲法改正の賛否についてはほぼ国論は二分されていると感じます。

  ただ、護憲派の私でも、改憲派とされる方々の主張の中に、傾聴に値すると感じるものもあります。それは、時代の進展に応じて、憲法の規定についても見直しが必要なものが出てきたというものです。

反対に、押し付け憲法だからとか一度も改正されていないから、あるいは現実と乖離しているからなどという理屈は、改正の理由や必要性を全く説明できていないと思います。少なくとも、70年以上にわたってこの国の根本法規として機能し、社会秩序を安定させるとともに、その基盤として現に国民意識にもなじんできた憲法を改正する理由としては、押し付け憲法論はあまりに貧弱な感情論であり、空虚だとさえ感じるのです。

現実と乖離しているからという改正論にも与しえません。なぜなら、憲法は、個々人が自由であるための理想とそれを守るための装置を定めるものですから、その理想と現実とが食い違っているからといって、理想を現実に合わせようというのは本末転倒でしかないからです。そんなことを言い出せば、後述する男女同権ですら、未だ完全には実現できているとは言い難い状況ですが、現実に差別がある以上、憲法も差別を前提としたものに改正すべきだ(即ち、現実の差別を容認すべきだ)などという立論だってまかり通ることになってしまいかねません。

3 他方で、時代の進展に応じて見直しが必要だとする憲法改正論のうち、私が傾聴に値すると考えているものは、具体的には憲法24条です。この点は、後述の4以下で述べます。

逆に、憲法9条については改正の必要性はないと考えていますし(その理由は別の機会に触れます。)、それ以外の新しい人権を明確にするためとかいう理屈も、憲法を改正するだけの理由にはなっていないと思います。例えば、プライバシー権は憲法13条で保障されるというのは通説ですし、環境権にしても憲法13条や25条で保障されると考えられています。新しい人権を明確にするためという改正論は、取ってつけた理屈でしかなく、それなら権利を充実させるために、今の時点で法整備をすれば足りるのにそれをしない、結局、為にする議論でしかないと思うのです。

4 それでは、私が日本国憲法第24条については時代の進展に応じて見直しの必要があると考えている理由をお話しします。それは、決して自民党憲法改正草案や保守派の言っている理由とは違います。

  いわゆる保守派の方々が主張する日本国憲法24条の改正理由は、現代社会では個人が尊重されすぎて、国家・社会の基礎ともいうべき家族の大切さが揺らいでいるので、家族という価値観を尊重するよう憲法に明確に規定すべきだというものです。

  なるほど、道徳としては一理あるとは感じるのですが、いかにも復古主義的で、戦前の「家」制度や「家父長制」の復権を彷彿とさせます。私は、権力抑制装置であるべき憲法で、国民に特定の価値観を守るよう求めること自体がそもそも本末転倒であり、論理矛盾だと思うのです。

  家族とは何か、誰が誰と、どのような共同体を作るか、どのような共同生活を営むかについては、まさに個人の自己決定の問題であって、特定の、あるべき理想や価値観を憲法で国民に押し付けるのは間違いだと思うのです(憲法は個々人が自由であるための理想・普遍的価値を定めるものと前述しましたが、あくまで個々人は自由であって、個々人に特定の価値感や思想を持つよう求めるものではありません。)。

  ですから、私が日本国憲法24条については改正を検討してもいいのではないかと思う理由は、以上に述べた保守派のいうところとは全く違います。方向性が逆といってもいいかもしれません。

5 私が、日本国憲法24条について見直しはありうると考える理由は、その制定された時代性ゆえに、性の多様性を捉えきれていないという点です。

  端的に言うと、日本国憲法24条1項では、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定されているとおり、性別として男女しか想定していないからです。

  いうまでもなく現代社会では、性は男か女かだけで区別できるものではありません。そのこと自体は、ようやく社会に根付いてきたと感じています。しかし、まだまだ未成熟で、法律、社会的制度や事実上の慣習、風潮等様々な点で見直しや改善が必要であり、その対応はむしろ喫緊の課題だと思います。

  私は、この「弁護士のつぶやき」欄の第1稿で、学校の制服問題(男女ごとに違う制服が定められていることの違和感)を取り上げましたが、平成29年11月7日付の西日本新聞で、福岡市で、LGBTと学校の制服の問題について考える会が開かれたとの記事を目にしました。この記事を読んで、以前から関心を持っていた私としては、まさに我が意を得たりと感じたのですが、結婚という制度についても、そろそろ個人の価値観を尊重する社会の成熟に伴って、本格的に議論をするべき時期がとっくに到来していると思うのです。

  他方で、日本国憲法24条1項に込められた意思、それは、封建的な「家」制度の廃止と男女同権の実現(男尊女卑思想の撤廃)であり、その重要性は70年経っても決して薄れてはいないと思います。現に、今でも男女同権が完全に実現しているとはいえない状況が続いているのですから、本来は憲法を改正するなどと議論する前に、憲法で謳われた理想がいまだ実現できていないことを直視し、憲法を活かすことを優先すべきでしょう。それこそが、女性の活躍にもつながると思います。

  ですから、私は、まずは日本国憲法24条1項を完全に実現するよう立法その他の施策を充実することが優先であり、その上で、一歩推し進めた形で見直すということは考えてもいいのではないかと思います。

  例えば、「婚姻は、両者の合意のみに基づいて成立し、男女を含め多様な性が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」などとすることです。

  思いつきの乱暴な意見だと思われるかもしれませんが、みんなで、多様性と個人を尊重するための、より良い条項を構想してもいいのではないでしょうか。


(2017.11.8)